デジタルネイティブは個人や集団ではなく現象(献本:NHK出版より『デジタルネイティブ〜次代を変える若者たちの肖像〜』の感想)

ひさびさの学校で、長期休み明け恒例のホームルームの時間に、担任の先生から『デジタルネイティブ〜次代を変える若者たちの肖像〜』なる本を受け取る。昨年10月暮れに放送された、NHKスペシャルデジタルネイティブ』の書籍版。著者であり、同番組のディレクターである三村氏からいただいた。ぼくなんかにホント、感謝です。
番組の時間という制約を受けずに、取材内容を事細かに伝えられるという意味では、テレビよりも書籍のほうが全然優れている。ぶっちゃけ映像というのは宣伝程度にしか使えないんじゃないか、とときどき思う。テレビのテンポでは、伝えがたいことが多すぎるのだ。
ところでid:lonlon2007は受験生にもかかわらず既に感想を書いている。さすがデジタルネイティブといったところ。ぼくはデジタルネイティブだとかよりも高専属性のほうが強いので、だらだらとした感想のようなものをプリッツなどかじりつつ、のんびり書いてます。
さて「このタイミングでひねくれたことを言わなければ高専生じゃない」というわけなので。
同書より引用:

留意しなければならなかったのは、デジタルネイティブを過去のいわゆる「天才コンピュータ少年」と一緒にしてはいけないということだった。コンピュータ黎明期から、デジタル技術への順応度が高い子どもが大人を驚かせることは少なくない。(中略)つまり、技術的に早熟な若者たちは、いつの時代にもいたのである。
生まれたときからインターネットがあり、ネットを水や空気のように感じてきた現代の若者だからこその「世界観」や「価値観」を持っていること。そして、そのことが特定の天才少年ではなく、どんな子どもたちにも当てはまると感じられること。

昨年10月にNHKスペシャルデジタルネイティブ』を見た方、あるいは2009年1月10日に発売される同書を読んだ方に問いたい。
「特定の天才少年ではなく、どんな子どもたちにも当てはまる」と感じられただろうか?
Yes, と答えられる方はごく少数にとどまるんじゃないだろうか、と思う。少なくともぼくはNoで答える。どう考えてもこれは「いつの時代にもいた」「技術的に早熟な」「特定の天才少年」または「若者」の話だ。
同書でも引用されているように、id:lonlon2007は指摘する:

例えば番組では15歳にしてカードゲーム会社のCEOとなっているインド人を特集していたんだけれども、彼はデジタルネイティブというかむしろ別のもっと凄い何かだ。確かに彼が活躍できているのはインターネットのお陰に他ならないんだけれども、彼をデジタルネイティブという枠にくくるのは違うかなと思った。

http://d.hatena.ne.jp/lonlon2007/20081116/1226840010

そう、根本的に違う。
若者や少年少女の中に、特定の能力が専門家なみに突出している人物はいる。サマーくんの起業にかける情熱やそのための行動力は既に実績のある実業家も顔負けのもので、それは尊敬に値する。あれは彼でなければできない芸当だろう。
その「彼でなければできない」というのが問題。
逆に言えば、「彼であればできる」のだ。21世紀の現代に、もしネットワークインフラが整備されておらず、インターネットが普及していなくても、何らかの(おそらくは普通のやつらの上を行くような)方法で成し遂げたはずだ。「インターネットがあればこそだよ」と思う人もいるかもしれないが、逆にインターネットがあるからといって貴方は同じことをしようと考えただろうか?我々には思いつかない戦略を採れるから、サマーくんは尊敬に値するんじゃないかな。
id:jkondoさんにしてもそう、今回の特集と書籍に登場する人物はみな「一点特化型」の傾向が少なからずある。いや、むしろ今回の取材対象となった材料もそれに拠るものがほとんどだろう。
なるほど伝記は面白い。だけどそれって、"過去のいわゆる「天才コンピュータ少年」と一緒"じゃないのだろうか?
id:lonlon2007の心に生まれた違和感の正体は、これだと思う。ぼくも何か違和感があったけど、番組を見た段階では言葉にはできなかった。それが同書の引用部分によってぴったりと符号した。『デジタルネイティブ』で特集されていたのが、デジタルネイティブではなかったからだ。
「どんな子どもたちにも当てはまる」という点から言えば、巷の女子高生のほうがよっぽどデジタルネイティブだ。みんないわゆるデジタル技術の塊であるケータイを使いこなしているし、それどころかそれに依存するようなライフスタイルを送る。少なくとも日本の子どもたちは普通、トレーディングカードビジネスを興したりはしない。起業する者自体、ごく少数の内の一部だ。
じゃ、デジタルネイティブとはなんだったのか?
その正体は特定個人や組織ではなく、情勢・現象だ。
少年少女が人生を歩む中で、たびたび厄介な問題や面倒ごとに遭遇する。それを解決するツールとして、デジタル技術と呼ばれるものが普及してる現代こそが、現象・デジタルネイティブの正体だ。
著者のいうとおり、昔から先進的な若者はいた。電子技術にも先駆けがいる。しかしその先駆けは極めて少数で、「天才コンピュータ少年」というのがまさにそれを指す。
それと区別すべきなのは、「ソフトウェアだけで具体的な効果を得られるようになった」ことだ。さらにいえば「入門コストがほぼなくなった」こと、「ユーザがユーザに向けてサービスを提供できるようになった」こと。これが決定的な違いだ。
天才コンピュータ少年は、何らかの方法で得た機材を使って作品を作ることができた。しかしそれを流通させるためには、結局企業に持ち込んで製品化してもらう必要があった。だから天才コンピュータ少年は、彼自体が表舞台に立つには起業する必要があった。
現在では、インターネット環境さえあればWeb開発の環境などは無料で揃えられる。公開も一瞬で完了する。それは個人的なものだから、ものすごく不完全だ。だけどそれが大切なことなのだろう。
まだ枯れていない技術の世界にほとんどの若者が足を踏み入れている。
"デジタルネイティブ"とは、そういった情勢のことを表現したくて生まれてきた言葉だと思う。誰がデジタルネイティブだとか、そういうことではないのだ。ぶっちゃけていえばこれはただの流行りに他ならないのではないか、とすら思う。
だって冷静に考えてみてほしい、特定個人を指すのなら「デジタルネイティブ」なんて言葉は必要なかった。天才コンピュータ少年とかでよかったんだ。
というわけで、散々書いたけど同書は面白かったです。特にはてなの章。組織形成に関するid:jkondoさんの考え方が独特でした。まあそういったところを形容する何らかの言葉はほしいけど、でもやっぱそれって"デジタルネイティブ"とは違うと思うんだよなあ。
発売は1月10日。ちなみにAmazonでは既に売ってます。

デジタルネイティブ―次代を変える若者たちの肖像 (生活人新書)

デジタルネイティブ―次代を変える若者たちの肖像 (生活人新書)